水上師、著作権を語る
どうも、水上です。
みなさんYoutube見てますか?見てますよね。
四六時中とは言わずとも、1日1秒も見ないなんて人はもはや少数派なのでは?
しかしYoutubeには闇もあります。
例えば、楽曲や映画、マンガ、ラジオ、TV番組、あるいはその他あらゆるコンテンツの無断転載です。
また、無断転載はYoutubeだけではなくWEBサイト、ブログなどあらゆるところで見られます。
収益化を目的としてなければ許せなくはないですが、露骨に収益化のために著作物を無断転載するのは、いかがなものでしょう?
とはいえ、個人のリスクでやる分にはそれを上回るリターンが見込めればやる理屈は理解できます。
また、そうした個人がいる以上、法人格である会社がルールを守って高いコストをかけて優良なコンテンツを配信しても、それを無断転載のキュレーションメディアの方が広告収入を稼げるのであれば、優良なコンテンツはこの世からなくなってしまいますね。
今こそ、著作権(COPYRIGHTS)って大事なんじゃないでしょうか!?いや、あってなきようなものになっているのでしょうか?
そもそもCOPYRIGHTSは直訳すれば複製権ですが、複製が簡単にできなかった時代に作られた法律なので、時代にそぐわなくなってきているような気がしますね、なくなっていいというわけではなく。
複製が簡単になったのは、一重に作品の電子化が起因しています。
WEB業界で活躍する方には「著作権」についてもう少し広い視野を持って考えてもらいたいと思いものです。
- コンテンツは無断複製したらダメ?
- 引用(タグ含む)をつければOK?画像もOK?
- オリジナルな文章じゃないとSEOに良くない?
そんな薄っぺらい知識ではなく、もう少し著作権について幅広い理解をしてもらいたいと思います。
著作権はいつ生まれたか?
著作権というとややこしいのでCOPYRIGHTSの直訳の”複製権”と考えたほうが理解がしやすいでしょう。
複製権というのは文字通り、複製する権利のことです。
「複製する権利がある」ということはそもそも「複製できる」ことが前提です。
複製できるようになったのは複製機が登場したころ、つまりワードプレスユーザーには不評でお馴染みのヨハネス・グーテンベルク氏(ドイツ)が印刷機を開発した15世紀ごろに話はさかのぼります。
複製機と言ってもコピー機のようなものではなく、印刷機に近いでしょうか。
印刷機の誕生=本を売ってお金儲けできる!
印刷機の登場で「比較的カンタンに本を売れてお金が稼げる」という仕組みが生まれます。
もちろん当時の印刷機の導入には莫大なコストが必要だったので、導入できたのは王室や貴族の人たちに限られましたが、それでも出版業界には大きなモチベーションになったのです。
ここからはイギリスの話になりますが、著作物の名前を出してもイメージしにくいのでここでは「ハリーポッター」だということにします。
「ハリーポッター」はベストセラーですが、どこが出版しているかご存じですか?
ブルームズベリー出版社です。
当時に重ねてみると、このブルームズベリー出版社だけがCOPYRIGHTS(複製権)を持っているのです。(現代は必ずしも出版社とは限らない!)
複製権がなかったころは、小学館や集英社でも、あるいは印刷機と製本機がある会社ならどこでも「ハリーポッター」を出版できました。
逆に、ブルームズベリー出版社がドラゴンボールやワンピースを出版できたりもしました。
それを見ていたイギリスの王室は「ちょっとカオスになってきたな」と感じたので、誰もが何でも印刷できなくしました。
これが複製権・・・と言いたいところですが少し違い、独占権に近いものでした。
そもそもこの頃は権利=独占権そのものみたいな時代なので、貴族や商人の上流階級の人々というのは独占権を持った規則権益者と理解するとわかりやすいかと。
独占権+出版=ボロ儲け!?
権利は王室により認められ、同じ権利を持つ者同士はギルドを組み、ギルドのメンバー内で取り決めを作り、自分たちの保身と排他的な枠組みを作ることでボロ儲けできました。
今の価値観で見るとなんという奴ら!と思えますが当時はこれが常識なので、当時の価値観で理解していきましょう。
簡単に言うと、今のマスメディアの先駆けみたいなものですね。
たとえばイギリスの場合、支配階級の王室が統治に不利な出版を抑制・禁止させたり、それを廃棄させる権限を与える代わりに、出版権を独占させてギルドは経済的メリットを得るという・・・あれ?今と全然変わらなくね?
つまり当初の著作権(=複製権(=独占権)))は貴族が独占的に金儲けするシステムでしかありませんでした。
そしてこの体制は持ちつ持たれつで17世紀末まで200年ほど拡大していきます。
現代の著作権の概念になったワケ
こういったものは永遠には続きません。
王室による権利独占の横行に対し市民たちによってイギリスで内乱が起きると、ライセンス法が廃止されギルドに独占権がなくなってしまいます。
この200年で印刷技術もだいぶ民間に浸透しているので、安くて新しい出版物が大量に出回るようになります。
ちょうど2000年以後インターネットが一般に普及していったようなイメージですかね。
当然おもしろくないギルドは18世紀に入ると議会に陳情して1710年にアン法を制定させるなど、特権の復活を望みました。
しかしアン法はギルドの特権の復活にはいたらず、従来とは3つの点が異なっていました。
1.ギルドメンバーでなくても誰でも複製権をもてる。
2.ギルドメンバーでなく著作者に対して付与される。
3.その権利は期限付き(28年)、過ぎたら公衆に開放される(=パブリックドメイン)。
これらはいわゆる現代の著作権法の基礎となっていることがわかります。
このころになると、書物が流通することで幅広く知識が共有されることは、金銭的なメリットよりお互いの発展に大きな貢献をすることが明らかになっていました。
絵画や芸術作品のようなものは当時まだ複製が難しいとはいっても、書物(文章)においては印刷機の進歩で一般国民にも普及してきていました。
著作権か知恵の共有か
前述の「ハリーポッター」は、たしかに面白い作品でその発想や閃きは素晴らしいのですが、読んだ事がある人なら記憶や本そのものを書き写したりタイプライターで打つなりすれば誰でも複製可能でした。
だからといって「小説なんて誰でも書ける」とは言えませんよね?
実際には想像・創造・表現方法が重要なので、単に複製できることが価値はありません。
しかし、実際複製はできるし複製した本が本物より安くて内容も同じなら、あなたならどちらを購入しますか?
つまりこういうことですね。
↑おまえ海賊やん!
「STOP! 海賊版」/画像は出版広報センター公式サイトより
倫理的にも法的にもNGですが、かといって複製は容易にできるし儲かるし読者は安くて喜ぶのです。(ぶっちゃけ1回くらいは利用したことがあるのでは?)
ここで尊敬する武田邦彦教授のブログから少し引用しますが、
人間の作品は大きく分けて、「物」と「情報」がある。「物」には「所有権」というのを認めて、ある人がマグカップを持っていたら、そのカップはその人が他の人に譲らない限り、未来永劫、その人のものだ。ところが、「情報」は最初、ある人の頭の中にあっても、それを出してしまえばどこまでも行き、他の人の頭の中に入ってしまう。「情報」はあっという間に一つ(一人の頭の中の情報)から、膨大な数に増えてしまうし、それを誰かが使ったからと言って、その情報を発信した人が使えなくなるわけではない。
(略)
今から200年ほど前までは、人類は「物」には権利を認めたが、「情報」には権利を認めなかった。そして人類はお互いの知恵(情報)を共有することによって大きく発展してきた。たとえば、ガリレオが「宇宙の中心は地球ではない。地球は太陽の周りを回っている」という新しい発見をしても、それを聞いた人はその知識を自由に使っても良い(そう考えても良い)ということであり、ニュートンが万有引力や運動方程式を導き出したので、それによって馬車が走り、鉄道ができ、航空機が生まれても、ニュートンにその対価を払うわけでもなかった。
でも、近代ヨーロッパで「お金を中心とした考え方」ができてきて、「著作権」や「特許権」という「情報の所有権」を認めるようになった。その理由は「情報はなんの苦労もなく、増やせるので、本来は自由に使えるものではあるが、特定の期間だけ所有権のようなものを認めよう」ということになった。でも、そうすると言語も、日常生活のいろいろな情報もすべて「誰かが思いついた」ものなので、際限が無い。そこで、「思想または感情を対象とする情報で、新たに思いつき、かつそれが創造的なもので、表現されたもの」に限定し、所有権のようなものの期間も20年ぐらいとすることになった。
引用:http://takedanet.com/archives/1040224480.html
要は“著作権なんてあってなきようなもん”ってことを言っておられます。
しかしそれでも、オリジナルを生み出した著者へのリスペクトや対価は必要ですし、それがモチベーションで成功される方もいます。
著作者に権利を認めつつ、しかし制御できないので期限を設けたわけなのですが、はたしてそれでも完璧かどうか・・・。
誰でも複製できてしまう現状から見直されるべき「著作権」
今、出版に値する行為はブログを書く(書くと言っても電子データを送信・受信するだけ)に置き換わっています。
誰でも文章、写真、音楽、動画、いいものも悪いものも何のフィルターも介すことなくインターネットにアップロードできます。
もちろんダウンロードやコピペもできますね。
電子データに対する著作権問題では、2000年代に起こったナップスターと音楽業界「Napster訴訟」が有名です。
インターネット業界に席を置くものとして知らない人はいないでしょう!!
Napster社は著作権違反で廃業に追い込まれましたが、同様のソフトウェアは雨後の筍のように登場。
結果的にCD(音楽の電子データ)は売れなくなっていきました。
CDの販売で莫大な利益を得ていた某企業やアーティストが可愛そうに思えますが、逆に問題提起されたことで今の常識は、「CD1枚に1000円以上も価値があったのか?そんなのが飛ぶように売れていた時代があったのか!」になってきています(良い悪いは別にして)。
この感覚は、”特権階級のギルドだけが出版物を出版できる独占権があった”とそこまで差がありません。
悪法もまた法なり@ソクラテス
著作権は守りましょう、と言うは易しですが、同時にクリックひとつで著作権を誰でも無制限に侵害できてしまう現状には対応しきれるわけがありませんね。
何処とはいいませんが国家ぐるみで海賊版を輸出している国もありますし。
18世紀には、イギリスで定められた著作権法の抜け穴としてアメリカは著作権違反の出版を旧ギルド出版企業と組んでやりまくっていました。
一時期は主な輸出品だったほどです。
歴史は必ず繰り返します。一度は悲劇として、二度目は喜劇として。