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13年ぶりに北海道に移住・Uターンしました その2 地震

こんにちは、WEBコンサルティング課のIです。
持ち回りで担当するこのブログが3か月振りに回ってきましたので、前回同様、
13年ぶりに北海道に移住・Uターンしたことにまつわる話を書こうと思います。

とその前に、まずは9月6日未明に発生した胆振地方を震源とする北海道胆振東部地震により被災された皆さまに心からお見舞い申し上げます。

当日は私の家も停電、弊社オフィスも停電と大変だったのですがそれ以上に当時気がかりだったのは、
前回の投稿でも少しご紹介したとおり、胆振東部が私の実家でして。。。
13年ぶりに北海道に移住・Uターンしました その1 暑さ寒さ

先週末の3連休に実家に戻り、いろいろ話を聞いたり、被災地の安平町にボランティアに参加したりなどをしてきたのですが、
実家は奇跡的にほぼ無傷、幸い親類縁者も無傷で済んだのですが、祖父母の墓が倒壊し現在その対応に悩んでいるところです。
また、地元の友人で家が住めなくなったものなどもいたりするなど、爪痕はやはり大きいです。

写真は地震の当日19時ごろ札幌の自宅近辺からの写真です。一部分以外はすべて真っ暗で。
このタイミングで電気が来ているのは市内のインフラにかかわる地域や医療関連の地域のみで、それ以外は停電しており、
おそらく札幌の人が見たことのないような暗い光景が目の前に広がっていたと思います。

が、実は私は似たような光景を7年ほど前に見ていまして。
2011年の東日本大震災です。

というわけでちょっと前振りが長くなりましたが、今回は東日本大震災を経験した北海道Uターン者から見た、胆振東部地震への率直な感想を書こうと思います。

北海道移住・Uターン前 2011/3/11から1週間ぐらいの話

今更東日本大震災に関して多く語る必要はないかなと思いますので、当時の私の話を少し。
3月11日当日は転職前の会社で被災し、帰宅難民も経験しました。
ちょうど当日が金曜だったので土日の休みを挟んだ後出社したのですが、余震のひどさにより結果1週間自宅待機命令が出ました。
とにかく毎日続く津波と原発にまつわる話、それとポポポポンとおはよウナギにうんざりする毎日でした。

また、今回の札幌でも同様の事態が起きましたが、やはり買い占めがひどい状態になっており、スーパーやコンビニの棚に何もない状態を何度も目撃した感じです。
で、これも今回と同様かそれ以上だったのですがガソリンスタンドの列が信じられないことになっていました。
当時バイクに乗っていたのですが、幸い地震の少し前に給油をしていたため並ぶ必要はなかったのですが、何かあった際の脱出手段として考えていたため、無駄に使えない状態になっていました。

さて、そんな3/11なんですが当時の一番の大問題といえば、間違いなく今でも解決されていない原発だったりしますが、
それ以上に身近な問題だったのは計画停電です。
当時は無計画停電なんて揶揄されるほど東電のつたないフローで悩まされましたが、結果2回も経験することになりました。
(と書きましたが、ここが記憶があやふやで2回あったうちの1回は回避されたような記憶もあります)

この際見た景色が、今回の胆振東部地震の暗闇の都市部の光景とそっくりでした。
当時埼玉と東京の県境に住んでいたのですが、その県境を境に煌々と光がともる住宅街と、
反対側の自分が住んでいる、信号すらついていない真っ暗な住宅街が広がるその光景はまさに衝撃的でした。

そこから個人的に防災装備をしっかりしようと思い、9月6日を迎えました。

北海道移住・Uターン後 2018/9/6から1週間ぐらいの話

時は流れ2018年9月6日。移住・Uターンしてから半年も過ぎやっと体も北海道の気候に慣れてきたかなーと感じる毎日でしたが、
当日はたまたま2時ぐらいに目が覚め、そのあとなかなか寝れなかったためテレビをつけてボーとしていました。

でそこに急に来た横揺れと緊急地震速報。このタイミングではまだ電気が使えたので電気をつけて室内を確認し、
ほとんど被害がなかったことに安堵しました。唯一、めんみのボトルが床に落下しめんみの海ができていたことを除く、ですが…

とそんな感じでめんみの海をかたずけていると停電が起き、ブラックアウトが発生しました。
窓を開けると一面真っ暗でしたが、最終的にここまで大ごとになるとは思ってもいませんでした。
とりあえず枕元にあった防災グッズからライトを取り出し、明かりをつけながらラジオとネットで情報収集をしていた感じです。
幸い自宅は水も出て、特に不便もない状態でしたので寝ることにし、朝起きてみて初めて全体の被害の大きさに驚いた感じでした。

とはいえ、翌日の8時には電気も復旧したため自分自身には被害というほどの被害はない状態でした。
ただ、まさかこれほどまで停電が長引いたことと、それによって物流が寸断しここまで影響が出るとは思ってもみなかった感じです。

2つの地震を経験しての感想

というわけで2つの地震で大きな揺れと長時間の停電を経験したわけですが、率直な感想として札幌の人の防災意識は高くなかったんだな~と感じました。
ライトなどの最低限の防災グッズをそろえている人も少なく、大震災で無用な買い占めやガソリンの補給はやめようとあれだけ言われたにもかかわらず、結果いずれも起きてしまったのをみるとやはりこれまでの災害が他人事だったのだろうと感じてしまう限りです。

と、えらそうに書いていますが、これも経験をしたことによるその結果としか言いようがないです。
昔ある本に書いていて今でも真実だろうなと思う言葉があるのですが、人は半径数メール以内の出来事でしか現実として認識しないということです。
例えば明日隕石が落ちてどこかの国が滅んだ、なんて話が実際にあっても、遠い国の絵空事程度の認識しか人にはできないという話です。
地震や災害もまさにこれで、自分自身(もしくはごくごく身近な誰か)に何かが起きない限りは認識ができないのだと。

上記に書いた通りなかなか自分のこととして認識しづらいとは思いますが災害は他人事ではないと強く意識することが、一番の災害に対する備えなんだと思います。

震災と計画停電を経験してきた北海道移住・Uターン者が用意していた防災装備

というところで、最後に私が用意していた防災グッズを、今後の参考までまとめておきます。

枕元に置いていた防災関連のもの

・ライト(ソーラー&手回し充電+ラジオ付き。ただしラジオは途中で故障しました、、、)
・モバイルバッテリー
・着替え一式
・飲み水500ml×2
・缶詰
・日持ちする食べ物
・本(電気などがない状況での暇つぶし用)
・ライター
・粉末のお茶(きれいな飲み水が確保できなかった際の非常用)
・現金
・大きなリュック

枕元以外で置いていた防災関連のもの

・ヘルメット(バイクのものをそのまま)
・手袋
・飲料用途以外の水1.5L×5本(空いたペットボトルに。断水した際のトイレや、最後の手段で飲料用途に使うため)
・火や電気を使わずに食べられるもの(1週間分)
・予備モバイルバッテリー
・電池

特別に準備していなかったけど役立ったもの

・東京防災(数年前に東京都から全都民に配られた防災マニュアルです。わかりやすく防災に関して書かれているのでおすすめで。PDFの無料版もあります)
防災ブック「東京防災」
・古い携帯(ネットにつながらなくても、ワンセグとFMラジオチューナーとして使用できました)
・自転車(交通網がマヒした場合、人力が一番で)

まとめ

というわけで、地震のお話でした。
地震に限らず、東京での予想外の大雪、四国中国地方の豪雨、関西を襲った台風と、とにかく天災がてんこ盛りの年です。
北海道の地震を最後にしてもらいたいですが、強力な台風が再び来ているとの話もあります。
地震ではないかもしれませんが、この後も何かしら災害が来ることは間違いないでしょう。
備えあれば憂いなしの気持ちで準備していこうと思います。

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