業界今昔物語
覚えたことより忘れることのほうが多い初老の開発室メンバーです。 開発室ブログということでついに私の順番が周って来たので やはり技術ネタが中心で先週から温めてたネタをと思ったのですが、 あまり筆が進まないので、急遽、路線を変更してむかし話を書いてみました。
年取ると懐古主義というか、昔を懐かしむモンで、 「へぇ~、こんなこともあったんだ」程度にゆる~く読んで頂ければ幸いです。
時代はバブルが始まり出した好景気であり学生1人につき2~3社からの求人が普通で 特にコンピュータ関係の学生には多くの企業からの求人が集まってました。
自分はテストで落第点を取り、夏休み中の補習授業に出席したおかげで、 講師からたまたま求人の面接がある旨、薦められるままに企業の面接に行き、 夏休みが終わる前にサクっと内定を貰ったので、「明日からいよ、いよ就職活動解禁です!」っていうニュースを他人事のように見てました。
メーカ系の会社に入社後、数ヶ月の教育が終わって担当部署へ配属されましたが、学校で勉強したこととはかけ離れて いきなりエキスパートシステムと呼ばれるAI(人工知能)関連の業務に携わりました。
「Σプロジェクト」や「第五世代コンピュータ)」という とても優秀なお役人様が立ち上げた国家的プロジェクトの後押しがあり、 AI(人工知能)ってなんかカッコよさそうジャン!的な空気があり、電電公社(今のNTT)関連の部署でAIを使った機械翻訳の業務に就きました。
当時は親方日の丸の息がかかった天下の電電公社様サマなので金に糸目はつけず、潤沢な資金をジャブジャブ使ってました。 開発環境は当時、大学や研究所のようなことにしかない「ミニコン界の巨人」と呼ばれているDEC社のVAX11というマシンを私の部署と客先にあるマシンを公衆回線を介して接続してました。 (引用元:Виртуальный музей ВТ(70-е 20 века))
当時は常時接続ではなく回線を接続するにはこちらから電話をかけた後、一旦電話を切って先方から電話がかかって来る コールバック方式により電話の音声回線で通信しており、電話回線と端末との接続には音響カプラーという機械を使い、 FAXみたいな「ピィィィ~ガァァァ~」てな感じで通信を行っていました。 (引用元:波多利朗のFunky Goods)
電話の音声を拾うのでクシャミをすると回線にゴミが入り、通信が切断することもありました。 また、ある人が端末室に入るとナゼか回線が切れるという不思議な現象があり、先輩から「お前は出禁だ」って言われた人がいました。(笑) 彼は怪しい電波でも放っていたんでしょうね。
余談ですが、当時NHKの教育テレビでマイコン(マイクロコンピュータの略ではあるが一説によればマイコンピュータと言われていた)をテーマにした番組がありました。 番組で使用したプログラムの転送をテレビの音声を使って流すことでデータ転送していたという話を聞いたことがあります。 当時データはすべてカセットテープに保存してた時代でしたので、 アシスタントのお姉さんが「これからデータを流しますので録音をして下さい」のようなこと言ったとか。 とても斬新なダウンロードだと思います。 古き良き時代でしたね~
まだまだ多くのむかし話や業界面白ネタがありますが、この続きはまたの機会に。 イラストの引用元:かわいいフリー素材集 いらすとや